4/14に雀豪2に始めて昇段してから552半荘、麻雀の本を読みはじめたころの目標でもあった雀聖1に昇段した。
ヤッターーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
......ところで雀聖ってどんくらいすごいの?と言われると実力的にはまあ誰でもなれる なれるが段位戦での強さに美しさを見いだしてないと続かない そんなイメージ
雀豪1→雀豪2の間の500半荘期間は平澤元気さんの押し引き本を読んだり麻雀何切る300を何度も気絶しながら*1読んだり意味もわからず牌譜を見返したりなどしていた。
しかし雀豪2→雀聖1の停滞期は本当に何もしていなかった。
これ実力が足りないんか。じゃあこう打ってみようとデータをみて雀豪1→雀豪2の頃の貯金から答えを出した感じとなる。
……ちょっとこれ感情のディテール込みで詳しく話させてほしい
この画像は雀豪2になった4/14~9/30までの打ち方を変えてない時の記録、つまり停滞期。
グラフをみると微妙に勝てているが段位ポイント配分上しっかり負けている。この微妙に勝てているというのが厄介で、上振れの一瞬を本来の実力として見積もり、負けていても(まあ下振れやな)で見過ごす状態になっていた。
………実際気持ちよく麻雀を打ちたいだけなのでなんの問題もないんだよな。
ただ、340半荘もしてればそんなお気楽感覚もシビアなデータと一致してくる。
そんなお気楽さと打開したさが入り混じった意識でデータ上の放銃率の高さを見ていると、いつか見た魂天*2の牌譜でドラ3の手牌から降りる準備を始めたり、バラバラの手牌を一切進めていなかったことを思い出す。
そこで、今度は自分の手の進み具合に他家の手の進み具合を考慮してオリをはじめることを意識して打つようにしてみることにする。まあやっぱり勉強は嫌だったので他のことは一切していない。*3弱いままでいることの罪悪感を解消する程度の意識変えだ。
あ、これでいいんだ!
意識一つで全然違う!
こう変わってしまうとやっぱりデータ最高!に脳が支配されているのを感じるし、調子にも乗っている。さっき書いた過去の感情もどれほど寄り添えていたかわからない。自分の都合のいいように盛っている気がするし実際1回書いたものを修正してる。
「たかだか1時間で蚊トンボを獅子に変える。勝利とはそういうものだ」と範馬勇次郎が言っていたことを思い出す。
マジうれしい。やったーーーー!
上達用まとめ
・上手い人の牌譜みて自分と違った打牌したら何故違ったのか考える。
・データは正しい。